nagikawa blog

梛川さんがどこかのお寺に行った話。

滋賀院門跡と大津市歴博

今日は住職任命事例親授式を滋賀院で。

時間があるってんで

大津市歴史博物館へ。

 

首里にあった旧沖縄県立博物館に展示室の雰囲気が似すぎていて驚愕した。

 

薄暗くて誰もいなくて。薄気味悪くて20世紀の匂いが止まらない。

 

西教寺三井寺のもの、色々持っている見た。

 

大津、蓮如上人とも関係があるし、

 

禅を大切にした人もいたってんだから

 

比叡山の天下だったってわけでもなさそうだ。

 

キャプションに、見出しというかキャッチコピーみたいなのをつけていたのはよかった。

 

研究も良くしてらっしゃる。

 

三井寺の近世絵画ってのも面白かった。

 

このしまおうこくを出していて、

 

狸ちゃん、

 

3筆くらいで決めているのは天才だと思いました。

 

まあ、盛りだくさん。

 

 

あとは、12年籠山行を満行した宮本先生のお話。

 

好相行、足掛け3年やったってのは、信じがたいお話しだと思った。

 

途中でよく死なないな。と

 

先輩の意地悪でもないのかとか疑ってかかったりして。

 

エクストリーム過ぎる。

延暦寺と、近代について考えてみたいと思った。

 

お灸してたらTシャツ焦がした件。

 

 

 

 

神戸でいとこの結婚式

楽しかったな

初めて御着物きて出かけたよ。

 

着付け習いたい。

お習字もしてみたい。

 

 

処女懐胎は欺瞞・・

自責の念とフィクション

 

教会での結婚式は、やっぱり茶番ぽくて

というか、宗教儀礼をコンテンツにしちゃうのってどうなんだ

 

ようわからんで、と思った。

 

湖東三山の西明寺さん

湖東三山の西明寺へ。

 

京都東インターから湖東三山ICまで行って

高速も2回目。

 

西明寺は紅葉もいいけど苔が綺麗だった。

いい季節。

 

三十塔は各階によって屋根の角のアールが異なり

したから見上げた時のプロポーションが美しくなるように見えているそう。

こけら葺きと桧皮葺の

 

国宝の三十塔の内部が11月8日から30日まで期間限定で公開していた。

鎌倉時代に製作を始めたそうだが完成は南北朝

巨勢の一派の作だそうで、法華経28品を立体的に曼荼羅にしたものなのだそう。

昔は絵解きでも使われたこともあるかもしれない。

 

漆とにかわで書いたそう。

 

 

慌ただしくだんなさまも連行。

紅葉綺麗だったな。

風邪引いたかな。

喉が痛くって困った。

 

明日は東で報恩講のレク。

お仕事、楽しいけどつらい。

 

ほぼメモ。

激走仁川突破

 

 

2016.11.3の続き。

 

那覇空港には、おじさんに送ってもらった。母と姉も来てくれた。3階のレストランで、少し休憩などしつつシャトルバスでLCCターミナルへ。バスの中から目に涙しつつ手を振るも、なかなか発車しないバス。やっと発車して涙の出立と思いきや、娘のリュックサックを姉が持ったままだった。ということで15分後にLCCターミナルにてリュックの受け渡し。

 

 余裕を持って行ったつもりだったが、呑気にコーヒーなんぞ飲んでいたおかげで、結構ギリギリ。そして強風の影響で20分くらいフライトが遅れた。乗り換えギリギリな気がして気が気でない。

 

仁川に到着。かなり大きい空港なので、降りたターミナルビルから、荷物の受け取りまで電車で移動。5分くらいの乗車。行きはセキュリティ意識は絶無でなんとも思わなかったが、あんな人ごみ、スリがいてもおかしくないよな、と思う。一度出国してから荷物を受け取り、さらに中国国際航空に預けなおすため出国審査に並ぶ。勝手がわかってなかったので、出国審査用の書類のステイ先の住所が空欄であるということで弾かれる。韓国入国の目的地を仁川国際空港にすればよかっただけなのね...

 

20分くらい並んでヒヤヒヤしてたのに、もう一度並びなおせなどと言われる。出国するにはどうしたら良いのか、自分でもわからなかったので、果敢にスタッフに聞いてみた。日本語できる人がいたので、なんとか捕まえて乗り換えの時間が迫ってることや、散々並んだのに弾かれたことを日本語と英語で説明。ショートカットさせてもらって、出国。出国の審査の女の人は日本人に恨みでもあるらしく、露骨に面倒くさそうに大きなため息をつきながら手続きをしてくれた。もちろんパスポートは手裏剣ばりに投げて返した。

 

無事出国してから1Fに降りて、荷物を救出して、搭乗手続きに猛ダッシュ。とにかく間に合わないと思ったので、なんでもかんでもスタッフに聞いた。出口はどこか、航空会社のカウンターはどこか。など。3Fに上がってから再度インフォメーションでカウンターの番号を確認。笑顔もなく「hurry」と言われた。

中国国際航空の搭乗カウンターは保安検査場と近かったのは幸い。そしてまた大行列に並んだ。娘のパスポート情報の姓名の入れ違いは、航空会社のカウンターでは何にも言われなかったが、保安検査場でも一言確認されただけだった。ここを通過できるかどうかで散々眠れなかったわけだけど、ほっとする間もなく、ダッシュ。よりにもよって、出発口は一番遠い。青ざめつつ、また例のターミナルビルとの連絡電車に乗って、搭乗口まで激走した。最後の搭乗者ではなかったけど、ほとんどの人が乗り込んでいた。乗り込めた!!!!やった!!と思い安心した途端お腹が空いていたことに気がついた。焦っていたので水も飲んでなかったし、那覇から何にも口にしていなかった。母が作ってくれたおにぎりと、那覇空港から持ってきたサンドイッチを食べた。食べ終わった頃に機内食が出てきて、機内食あったのね。。と思いながら、機内食も食べた。

 

隣に座ったおじさんはイスラエルに帰るって言っていた。日本にことがあるとか、子供は3人いて、26歳だ、とか。イスラエルのニュース、悲しく思ってる。と話した。北京空港に着いてからは、あまりの空気の汚さにびっくりした。人がどうやって生活してるんだろうね...と話した。このおじさんとは、入国の時にもう一度会った。おじさんが列から弾かれたので、何かあったのか聞くと紙の航空券がないとダメ。と言われたとか。入国審査では紙の航空券じゃないとダメなのか??なんだろう。

 

航空券は自分で取るもんじゃないな。。

インターネットは便利だけど。間違えなきゃいいだけだけど。

 

那覇→仁川→北京→ワルシャワ、母娘珍道中

 

 

ポーランド旅行中は色々あったけれども、出かける前から大変だった。

毎日暮らすお金もないのに、兄やら母からお金を借りてまで出かけようというのだから無謀。

恥の多い人生だこと。穴がないなら掘って入りたい。

何しに行くのかとか聞かれたところで答えられない。

 

グ・グランドツアー........で..す。

 

 飛行機の乗り遅れ、予約する日にちの間違いなどなど、これまでも数々のやっちまったをやってきましたが案の定、娘の姓・名を入れ替えて航空券を予約。2時間後くらいに気づいて絶望で手が震えた。

 

 那覇から仁川までのフライトの氏名変更をせねばならないと急ぎピーチに電話。迅速かつ丁寧な対応で姓名を直して、新しいQRコードをメールでもらえた。ピーチ、遅延ばかりだけど見直したよ!これからもピーチのお世話になることを決意。

 

 その後の中国国際航空の仁川→北京→ワルシャワの姓名の修正について血眼で調べ倒したところ、正規のサイトから航空券を予約した場合は問題なく乗れるという情報が転がっていた。しかし代理店経由のため、アカンかと思いながらネット上の旅行代理店(e-dreams)と航空会社(中国国際航空)に問い合わせ。各社共に姓名の変更はできないし、搭乗者の情報が違えば、搭乗できないので再度キャンセルして予約を取り直せとの回答。私のフライト予約は問題ないが、2人まとめた予約番号なのでまとめて予約を取り直すなどというのは全財産を吹き飛ばすに等しいので、乗れるという情報に賭けて仁川まで行ってみることに。おかげさまでチケットを取ってから、出発までは夜も眠れなかった。

 

 出発前の2週間はとにかくキリキリ。散々インターネットを徘徊しまくっていた。挙句に出国用のチケットなしでは入国の段階で弾かれるなどという情報もあり、情報が錯綜して頭は混乱。保育園との休園のやりとりも諸々が忌々しかった。まわりの誰にも、ポーランドに行くなどということは伝えていなかったし、職なし貯金なし、未来なし、なけなしの17万...oh...

 

 高まる緊張と不安のあまり、前日に帰国のチケットをおさえよう(LOTポーランド航空)と奮闘するも、カード決済できず。行き13万と、帰りを合わせると、月の使用限度額を超えることが判明して、また絶望。支払いを分割したらどうにかなるかと思ったが、使用限度額は月の締めと関係ないので、ただ分割手数料を発生させただけに終わった。意味ねー。もはや全部諦めてワルシャワに行ってみることに。

 

前日におじさんと、いとこの奥さんとその娘と私の娘で、家の隣の焼き鳥屋に行った。

チケット取り損ねの疲労困憊で、みんなが食べ終わってる頃にかろうじて行った。

 

 あんたのお父さんとお母さんは何も言わんね?おじさんだったら「何やってんだよ」って言うよ。と言われた。いや、私が私のお父さんとお母さんでも、「何やってるのー。」くらいは言う。

 

本当にこの人は何をやってんでしょうか。って思いながら。那覇空港に向かいましたとさ。

(2016.11.3の話)